小坂 明治末期〜大正前期 日本一を誇った銅の鉱山町

秋田県
小坂町




交通

JR花輪線十和田南駅よりバス

国道282号線
東北自動車道小坂IC






康楽館・小坂鉱山事務所


小坂精錬所
精錬所前の町並み





2003.08.13
小坂は秋田県の北東部、十和田湖に近い花輪盆地北部にある鉱山町でわが国屈指の銅山である。1861年(文久1年)銀山が発見され、1867年(慶応3年)南部藩が直営、明治になって一時官営になるが1884年(明治17年)より藤田組(現同和鉱業)が経営して現在に至る。明治末期から大正前期にかけてはわが国最大の銅山として最盛期を迎えた。
鉱山の産業町は、中央を南北に流れる小坂川の両側に形成されている。町には最盛期に建てられた明治末期の建築や古い工場建築、鉱山前の昭和の町並みが見られる。
明治43年に鉱山の厚生施設として建てられた「康楽館」は、老朽化により一時閉鎖されていたが、昭和61年に修復工事を終え日本最古の現役木造芝居小屋として再オープンした。
また、明治38年に建てられた鉱山事務所も、鉱山施設の中にあったが近年、康楽館前の公園の中に移築され竣工当初の状態に復原された。
私が小坂を最初に訪れたのは昭和61年で、康楽館が再オープンした直後であった。鉱山事務所も移築前の鉱山施設の一角にあり、鉱山住宅も残っていた。今や代表的な歴史的建物は公園に集められたため、町並みの中で見ることはできない。
康楽館は再オープン後、芝居の興行が続けられている。歴史的建物が本来の用途で使われ続けているのは喜ばしいことである。昭和61年に訪れたときはまだペンキのにおいがきつく真新しかったが、現在はしっくりきている。館内には蕎麦コーナーがあって、前回は秋田美人の女の子がかけそばを作ってくれたのが印象的だった。もしやと覗いてみたが、あの時の娘がいるわけは無く、相当前に秋田美人だったかもしれない女性がそばを作っていた。
小坂川の東側、鉱山から南に伸びる通りにはかつて栄えた商店街がある。今ではほとんど営業していないようで、朽ちた旅館や商店が並んでいた。あまりにも寂れており、鉱山を行き来するダンプカーが頻繁に通る町並みは、大変痛々しい。
康楽館(国重文) 
明治43年竣工 昭和61年修復
康楽館の内部
人力回り舞台がある。桟敷席は後ろの人が見やすいよう舞台に向かって傾斜している。
康楽館の楽屋
小坂鉱山事務所(国重文) 明治38年
かつては下の精錬所ならびにあったと記憶している。
移築復原工事前の姿はこちら
小坂精錬所
小坂精錬所
鉱山からの「尾樽部通り」の町並み。鉱山近くには旅館が並んでいたが今では営業していない。頻繁に行きかうダンプカーによって汚された外壁が痛々しい。
尾樽部通り
参考資料 リンク
小坂町



参考文献