豊橋 戦災復興の町 800mに及ぶ水上ビルの町並み

愛知県
豊橋市
駅前大通
神明町
広小路
松葉町





交通
JR東海道線豊橋駅





広小路


水上ビル





2017.01.29



豊橋は、豊川下流南岸の商工業都市。愛知県第二の都市である。中世は、今橋、近世は吉田と称したが、明治2年(1869年)に豊橋と改称した。吉田藩の城下町、東海道の宿場町として発達。第二次世界大戦前は軍都・製糸工業都市、戦後は紡績・鉄鋼・機械・製材・食品加工業が発達した街である。
駅前の広小路エリアが物販店・飲食店が集まる繁華街であるが、その東側に下駄ばき型の商業+住宅の建物が約800mにわたって連なっている珍しい町並みがある。戦災にあった豊橋では、終戦直後から駅周辺に闇市が立った。その後、本来の商店街が戻って営業を始め、闇市の店舗はまとめられて移転することになった。しかし、用地がなく、苦肉の策で牟呂用水の上に商店街付きの集合住宅を建設した。こうして生まれたのが、約800m連なる「水上ビル」と呼ばれる豊橋ビル(昭和40年)・大豊ビル(昭和39年)・大手ビル(昭和42年)である。水上という形態、一階両側の800Mつづく商店街など、全国的にみても大変珍しい集落だ。
駅前大通り
路面電車が走っている
水上ビルの町並み
牟呂用水の上を活用して建設された豊橋ビル(昭和40年)
水上ビルの町並み
牟呂用水の上を活用して建設された水上ビル。豊橋駅に一番近い豊橋ビル(昭和40年)
水上ビルの町並み
豊橋ビル(昭和40年)足元の豊橋ビル商店街
水上ビルの町並み
豊橋ビル(昭和40年)足元の豊橋ビル商店街
水上ビルの町並み
豊橋ビル(昭和39年)足元の豊橋ビル商店街
水上ビルの町並み
豊橋ビル(昭和40年)北側の外廊下
水上ビルの町並み
ビル建設前からある牟呂用水に架かる橋
水上ビルの町並み
大豊ビル(昭和39年)と大豊商店街

水上ビルの町並み
大豊ビル(上)と大手ビル(左)
水上ビルの町並み
大手ビル(昭和42年)
水上ビルの町並み
大手ビル(昭和42年)
水上ビルの町並み
大手ビル(昭和42年)
水上ビルの町並み
大手ビル(昭和42年)
牟呂用水
水上ビルの下にはこの用水が流れている
広小路・松葉町の町並み
広小路・松葉町の町並み
広小路・松葉町の町並み
花園商店街(左)
参考資料 リンク
豊橋市

参考文献