東上野・台東・小島・鳥越(2003.01.13)

沢三伯さん主催の町並み歩きに参加しました。JR上野駅、御徒町駅と浅草との間には、戦前の建物がたくさん残っています。震災復興事業で広げられた道路や復興小学校の建物は、東京大空襲の時にしっかり火除け地としての役割を果たし、一部の地域を戦災から守りました。それらの場所は、戦後GHQが撮影した空中写真によりはっきり識別できます。爆弾を落としたアメリカ軍が撮影した写真により焼けなかった場所がわかるとは皮肉なものですが必然性はあるわけです。

戦後の空中写真

今日歩いたのは、東上野3丁目、台東3丁目、小島1丁目・2丁目、鳥越1丁目、浅草橋5丁目あたり。見事なまでに、出桁造りの町家、銅版張りの看板建築や長屋が至るところにごろごろ残っていました。

上の空中写真で、黒っぽい部分が焼け残った場所と思われます。風上は北西方向のため、公園や大通り、大きな不燃の建物の風下にあたる南東側の町が焼け残ったものと考えられます。
写真左上は上野の山。東上野一帯の黒い部分は上野の山に守られた模様。下半分の黒い部分が台東3丁目、小島1・2丁目、鳥越1丁目、浅草橋5丁目で、昭和通や清洲橋通りなど大通りや復興小学校に守られたことがわかります。

戦災にあっていない京都や金沢はおろか、名古屋の駅近くの四間道という戦災を逃れた地区を歩いたときも「よくもこんな場所があるものだ」と感動しましたが、まさか東京の中心の結構広範囲で残っている地区があるとは本当に驚きです。

GHQの空中写真を見ていくと、戦災を逃れた東京は結構あります。主に下町の中から一気に読み上げますと、
根津、千駄木、谷中、本郷、白山、湯島、東上野、台東、小島、鳥越、浅草橋、根岸、下谷、入谷、東日暮里、荒川、南千住、三ノ輪、橋場、向島、浅草、佃島、月島、勝どき、築地、芝、芝浦、三田、神田須田町付近、神田神保町付近、日本橋人形町堀留町小舟町付近、日本橋室町、丸の内、新川、新富町付近、佐賀福住、飯田橋など
いずれ連載の中で、『戦災のない東京』と題し取り上げるつもりです。

下谷神社横の町並み(東上野3)

下谷神社前の商店(東上野3)

出桁造りの町家(東上野3)

平成小前の民家(台東3)

大きな店蔵「大津屋」(小島1)

鳥越1丁目の町並み(鳥越1)