港北ニュータウン(2003.01.12)

2003.1.12に港北ニュータウンを探索してきました。港北ニュータウンは、横浜市と住都公団が市北西部の丘陵地帯に開発したニュータウン。大きくは早淵川をはさん二つの丘陵にニュータウンの新市街が形成されています。北は有間川、南は東方町の農村、東は中原街道、西は大山街道に囲まれた一帯です。10年前までは鉄道や道路も整備されていない場所もあり、周辺の農村と新しい町との間に何も建っていない造成地がありました。その後の整備は目覚しいスピードで、ちょっと前の記憶を辿って走っても迷ってしまいます。今はちょうど、新市街が一番外側(ボーダー)に到達し周辺の旧市街と密着した状態で、旧市街が変わりはじめている段階です。つまり、かつての丘陵農村が最後の面影を残しており、集落町並みWalkerが歩いて最も面白い状態といえるでしょう。
港北ニュータウンは全体に起伏のある地形をあまりいじっていないこと、早淵川などの谷の部分や周縁部は旧地主の所有地が入り組むように残っていること、新しい土地利用が地形に従っていることなどによって、新旧すべてを集落町並みと捕らえるとなかなか面白いです。


ぽっかりと残る大地主所有の農地からセンター北の町を臨む

周縁の旧市街で特に面白い場所は、東京近郊でかつての面影を残している街道のひとつである中原街道の沿った地域です。ニュータウン北東部の道中坂下バス停(第3京浜と交差するあたり)から茅ヶ崎という新市街に突入するまでの区間がひとつ。もうひとつはニュータウンの南端、星谷という辺りです。
道中坂下あたりの町並み、ニュータウンが遠望できる山田神社、早淵川を渡る勝田橋に近い勝田町には重文をはじめ民家が数軒残っており、ニュータウン以前の農村が体験できる貴重な場所です。南部の星谷あたりも同様です。
ほかにも、ニュータウンに囲まれて残っている大地主の山が農地として残っている場所もあり、不思議な景観が体験できます。
これからも追って、港北ニュータウン探索を続けていきます。

中原街道のちめ不動付近の民家

勝田の民家 時間が止まっている

重文関家 この辺りの名主だった

星谷の民家