翌朝、7時半にホテルを出た。天気は上々で駅前通りに朝陽が差し込んでいる。早速右手の駅に向おうとしたが左手の先に変わった建物が私を呼んでいる。通りの奥にはこんもりと緑が見える。変わった建物に近づいてみると「山田屋」という木造三階建ての旅館だった。そのとき、やっと泊まったホテルの名前の意味がわかった。この駅前通は伊勢神宮の外宮に向う参道だった。参道=サンドーだった。
伊勢市駅から一駅、前回の三重県第一弾「伊勢路」紀行の最終地点だった宇治山田駅(登録文化財)前でレンタカーを借り、いざ志摩へ。 |
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石鏡(三重県鳥羽市) |
パールロードから旧道に入り最初の目的地石鏡を目指す。集落の上に車を停め上から攻める。坂道の下からは老人がゆっくりゆっくり上ってくる。こんにちは、と挨拶。ここに限ったことではないが老人には過酷な坂道ばかりの集落である。
石鏡は急斜面に形成された集落で、谷筋のメインストリートと枝道という漁村お決まりの構成。こういう地形の集落は建物の古い新しいに限らず巡って歩くだけで面白い。ロールプレイングゲームのように歩いているうちに構成がわかってくる。やはりメインストリートの港近くに大きな家と酒屋があった。家々のスタイルは伊勢で見た黒板壁のものは少なく、同じ下見板貼りながらペンキで鮮やかに塗られた民家が目立つ。 |
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国崎(三重県鳥羽市) |
石鏡から直線で6KMほど南の国崎集落を訪ねる。鎧崎のある岬の集落は、起伏が穏やかなため水際から丘の上まで分布する。したがって漁村にしてはゆったりとしている。後でわかったことだが、志摩半島の漁村は地形が緩やかのためこのケースが多い。
民家は下見板張りのカラフルに塗り分けられたもので、欄干や彫物のある戸袋が特徴だ。
国崎を後にして、DataBaseリストにある磯部町相差と飯浜を探ったが特に見るべきものはなさそうなので歩くのをやめた。リストからも削除しよう。 |
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的矢(三重県志摩市磯部町) |
的矢湾は海が奥深く入り込むリアス式海岸が顕著なに見られる湾である。海岸線にはさらに小さな入り江があってそういう場所に集落が形成されていおり的矢集落もそのひとつである。志摩半島の外海に面する集落が丘の上を主体としているのに対し、的矢は静かな内海に面しているので水際に沿って連なっている。しかし、いくら静かな海とはいえ高潮や津波では水位が上がるので防波堤は形成されていて丹後半島の集落のようにはいかない。
海岸線に沿う一本の細い通りの両側に妻入の下見板貼りの民家が感覚を開けて並んでいる。防波堤脇の側溝にきらきら輝くものが敷き詰められていて何かと思ったら牡蠣の殻であった。 |
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国府(三重県志摩市阿児町) |
国府は名の通り国府・国分寺があった場所。志摩半島では珍しく海岸がギザギザしていないところで、東海岸に阿児の松原と呼ばれる砂丘が発達している平らな地形である。
北に神社があり参道が真っ直ぐ南へ伸びる形で長い集落が形成されている。海からの砂交じりの風が吹きつけるため、集落内の各家は2〜3Mの垣根で囲まれている。
こういう集落は砂丘や砂浜が発達した場所でよく見られる。砂浜と集落の間にしっかりした松原があればいいが、国府のように直接集落だと垣根を巡らさないとつらいのであろう。おかげで集落の写真はほとんど垣根になってしまうのである。面白いのに面白さがなかなか伝えられない。
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渡鹿野(三重県志摩市磯部町) |
渡鹿野は的矢湾にある島で、以前から行ってみたいと思っていた島である。この島があったから今回志摩半島を選んだといっても良い。日本の海岸線には帆船時代に栄えた港町が多くある。港町には必ずといっていいほど遊郭があった。瀬戸内海などは今では行くのに大変な島や半島の先っぽに港町があり、木造3階建ての姑楼が建ち並んでいたりしてびっくりさせられる。船舶が何処の港に立ち寄るかは遊郭の質が左右していたのかもしれないと実は思っている。渡鹿野はそんな港町の中のひとつで、戦前は「的矢遊郭」と呼ばれていた。ところがまだ現役だと聞いていつか歩いてみたい(利用してみたいではない)と思っていたのである。戦前は、志摩観光の遊覧客を相手に9件の姑楼があったという。
対岸の阿児町国府の船着場には旅館ごとの駐車場がたくさんある。私は島の施設を利用するわけではないので遠くの道端に駐車して渡し舟に乗った。島の海岸沿いには立派な旅館が建っていて現役ぶりを主張している。町には夜を彩るしゃれた外灯や「スナック」や「カラオケ」などの看板を掲げた店がたくさんある。昼間なので本来の町の姿は感じられないが、店が細い路地にまで入り込んでいて面白い。しかし、あまり古い建物は残っておらず、期待していた遊郭らしい雰囲気ではなかった。
路地をくまなく歩いて写真を撮っていると、店の娘らしき外人の娘がつっかけを履いて向こうからやってきた。なんとなく居心地が悪いので一通り歩いてから長居せず、渡し舟に乗って島を離れた。 |
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安乗(三重県志摩市阿児町) |
的矢湾の入り口を狭めるように伸びた半島の突端にあるのが安乗。航空写真と地形図を見ながら集落に入っていく。安乗岬へ続く馬の背のように細い尾根筋に従って一本の通りが走っており、まずはそこを車で流しながら事前確認をする。あまり目ぼしいものは無い。やはり港近くであろうと考え車を置いて尾根筋から集落を下っていった。志摩半島は一般に丘の上を道路が走っており、どうしても集落の上からアプローチしてしまう癖がある。港に下りてみると旧網元らしき屋敷もあったりして集落の核心部分は確認できた。途中に「志摩名物 ツインカラフル民家」(いつしか私の中でこう呼んでいた)が出没。誰か地元大工の仕業に違いない。 |
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波切(三重県志摩市大王町) |
さらに南下する。真珠の養殖で有名な英虞湾は大きく湾曲する半島で包まれて外海から守られているが、その半島のにある集落を訪ねる。英虞湾側は数年前に歩いたことがあり、入り江に沿った真珠養殖の集落だった。今回は外海に面する集落である。大王崎はその数年前に家族旅行で来たが集落は歩いていない。波切(なきり)という歯切れの良い響きの集落があって、多聞にもれず尾根筋に一本の通りから町が始まる。その目抜き通りも先端に行くと車が通れなくなるほど狭まってくる。そうなると車のための道路整備がなされないので集落本来の姿が残っている可能性がある。期待通り石垣と板壁の集落空間が残っていた。やがて尾根筋のメインストリートは行き場を失い港に下ることになるが、その坂道がすばらしい。石垣と石畳に包まれた空間はまるでイタリア地中海集落の街角ような場所であった。たいそう感動し何枚写真を撮ったことか。今回の最高スポット、イチオシスポットである。 |
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片田(三重県志摩市志摩町) |
片田は麦岬の付け根にある集落。ここでもまた上から攻めてしまったため急所を探しながらの歩き方になってしまった。「漁村は港から」が鉄則であるとわかってはいるものの、どうしても車の停め易い場所からはじめてしまうのである。
郵便局の脇から道標に従いながら西側の港に下りていく。途中に「志摩名物 ツインカラフル民家」がまたあった。港はやけにだだっ広く新しい。これは新しい港だなと思い、東側の海岸へ行ってみる。すると石垣が多くなってきた。これはそろそろありそうだと予感した直後、大きな屋敷がドンドンと現れた。おそらくここが古い港なのか。なんてことは無い、歩き始めた郵便局から東側に下ったすぐの場所であった。だんだん疲れて判断が鈍ってきたか?。 |
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浜島(三重県志摩市浜島町) |
英虞湾を取り巻くように走る国道260号線は半島の先端御座から海を渡って浜島を経て紀伊長島に至っている。しかし、風光明媚な英虞湾の先端に橋が架かっている訳はない。最後の目的地浜島へは英虞湾をグルッと四分の三周しなければならない。
浜島は英虞湾の入り口のゲートのような小さな半島で、波の静かな内側に港と集落がある。浜島はつい最近までは浜島町の行政中心だっただけさって志摩半島の中ではやや大きな町。港に沿って本町通りの町並みが長く続く。やはり下見板貼り欄干つきの民家が多いが、ここにもあった!「志摩名物 ツインカラフル民家」が!。桃色と空色のツイン。戸袋の彫物が茶色。強調された軒のデザイン。こういったデザイン指向は漁村でくくると全国的に共通点と相違点が見えてきそうである。一度このテーマでまとめてみようと思う。 |
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