八王子・岩槻・栃木(2004.05.08-09)
 

連休明けの週末、東京近郊の都市を2,3訪ねることにした。どこを走っても道はガラガラ。連休明けの週末の道がこれほど空いているとは驚きである。みんなゆっくり家で休んでいるからであろうか。
 
八王子
ろくに調べず八王子を訪れた。八王子は江戸時代は甲州街道の宿場町として発展。生糸の集散地として賑わい機業地に発展した。これほど近世から近代にかけて発展したのであるから、東京のベッドタウンといえども必ず古い町並みは残っているであろうと、街道の周辺を隈なく歩けど見つからない。ようやく見つかったのは画像の石蔵だけ。駅からは都市計画された斜めの商店街が延び、古い建物はリシン吹付けの看板建築ばっかり。「ん〜これは戦災にあってるぞ」。家に帰って調べたら一箇所を除いてほぼ全域が戦災に遭っていた。つまり、石蔵だけが残ったというわけである。

 
甲州街道の北側、浅川のほとりに明治から戦後にかけて賑わった「田町遊郭」があった。ここは、八王子の旧市街の中で唯一戦災から免れた地区である。広い目抜き通りの両端には大門があり、その中が遊郭だったという。現在は数件、かつての建築が残っている。なかに一軒だけ料亭を営んでいる店もあった。
岩槻
岩槻といえば太田道灌築城と伝えられる岩槻城の城下町で、江戸時代は日光御成街道の宿場町として、周辺地域の市場町として栄えた。近世以来、「岩槻人形」の産地として有名で、キリ箪笥や羽子板製造も行っている。
町並みはあまり残されていないが、旧日光御成街道沿いに出桁造り、土蔵造りの町家が見られる。街道から一本南に入った裏小路には比較的大きな屋敷が建ち並んでおり、うっそうとした屋敷林が印象的である。
栃木
栃木は巴波川のほとりに好きな喫茶店があって、栃木県に来た際はよく立ち寄っていた。町並みを歩いたのはずいぶん昔で、巴波川沿いの町並みだけだと長い間思っていた。
今回、栃木のいい写真が撮っていないので歩きなおそうと思い旧市街を隈なく歩いた。そうしたら、目抜き通りである日光例幣使街道のアーケード街はアーケードが撤去され「えっ、こんなに古い建物があったの?」とびっくり。裏通りにも洋館や銀座街があったりして、再発見の嵐であった。
嘉右衛門町
日光例幣使街道は、北の端に木戸があり(現交番)、町のエッジとなっていたが、街道に沿った町並みは桝形を越えてさらに北へ伸びていた。そこを嘉右衛門町というが、ここも驚くほどよく古い町並みが残っている。現在、嘉右衛門町も重伝建にしようという動きがあるという。