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島にはほとんど平地が無い。集落は基本的に島の東岸にある本浦だけで、平らな地形といえばこの本浦と西岸の三浦に礫浜が発達しているだけである。
本浦は比較的大きく、世帯数は422世帯、人口775人の集落である(1998年シマダス)。
島の歴史は過去2回の大火で史料が焼失してしまっているため不明な点が多いが、地図や現地調査からその発展過程を推測してみる楽しみがある。
地図で膨らむように出っ張った部分が平らな地形(斜線部)で、真中にお寺が3ヶ所並ぶ通りがある。この通りから山側は傾斜の勾配がきつなっており、かつての海岸線と思われる。また、お寺が並んでいる事から古いメインストリートであろう。一方、山道(左手点線)へと続く海と山を結ぶ通りは何本かあり、通りに沿って古い大きな家が残っていることから、昔からの主要動線であったと思われる。これらの通りには商店や郵便局、共同井戸が見られた。また、山裾には比較的大きな屋敷の立地が目だった。 |
祝島本浦の集落全景。眼下の東地区はわりと平らな部分が多いが、写真左手奥の西地区は港からいきなり急斜面上の集落となる。手前は丘の上の小中学校で、左手のRC造3階建が小学校、校庭を挟んで右側(樹木にやや隠れている)にRC造2階建の中学校があり、平地が少ないため校庭を共用している。海上に見える船は、島への第一便定期船で、西地区の港に朝6:18到着する。遠くにかすんで見えるのは、牛島(光市)で、さらにその向こうは風光明媚な室積の町となる。
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本浦 東地区
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(仮称)町並み隊は民宿「くにひろ」から町並み探索へ出発した。民宿の前には共同井戸があった。集落の重要なポイントのひとつだったのだろう。 |
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家を囲う塀は、海岸の波で洗われた丸いゴロタ石を積上げ、土やセメントで固めている。 |
独立塀の場合は萩などに見られる石塀と同じで瓦をのせるが、たいていは家屋の軒先まで延びて屋根と一体化している。 |
建物の外壁なのか塀なのかわからない。構造は伝統的な軸組み構造で石積練塀は構造体ではない。 |
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道は地形に従い、練塀は道や水路の線形に従う。 |
主屋と練塀の間は屋根のかかった土間で、物置の様に使用している例が多いと思われる。 |
緩斜面の等高線に沿った道。突き当たりに、石積壁の長屋門のような門を備える屋敷あり。 |
この島に限った事は無いが、村人はほとんどが老人。車が使えないので、坂道を荷物をしょって上り下りするのは大変だろう。 |
この島では珍しい板壁の住宅。つし2階部分は漆喰で虫籠窓が小さく開く。板壁とはいっても一部だけである。防風対策のことだけであれば窓無しの板壁でも十分のように思える。なぜ、風の通らない込み入った路地に面する住宅までも石積練塀とするのであろうか。 |
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外周を塀や家屋で囲み、中庭をとる形式が多く見られた。 |
地形の傾斜がきつくなる山裾に比較的大きな民家が見られる。天空光を取り入れる僅かな中庭の穴を残し、主屋と付属屋が外周を囲む。見下ろす集落の屋根群は、棟の方向に一定の法則性が見出せない。(小学校前から見下ろす) |
小学校前から見下ろした住宅を通りから見る。屋根の掛け方は複雑である。 |
小学校から見下ろした住宅の中庭。 |
山裾の住宅。比較的大きな民家が見られる。 |
山裾(小学校正門下)の住宅。大きな中庭をもっている。 |
小学校正門から海へと下る通りは、何本かの通りの中でも主要道で、郵便局や商店のほか大きな屋敷が面する。写真の住宅は立派な門と玄関を備えて、武家屋敷のようであった。 |
小学校正門から下る通りに面する商店。 |
一見、九州で見られる郷士集落の武家屋敷のような佇まいを見せる住宅が何軒かあった。
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島の商店は、お客は島民なので宣伝する必要は無く、看板の無い例が多い。この酒屋は、きわめて細い路地に面する商店のため、さすがにアピールが必要だったのか。
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集落の主軸、小学校正門から下る通り。右側(写真に隠れている)に島のコンビニ(萬屋)が面している。 |
共用の路地が家を貫いている。狭い漁村では良く見かける空間である。 |
本浦東地区の家並み。棟の方向、屋根の形態、瓦の種類、瓦の押さえ方法、どれも一定の法則性はなさそうだ。 |
屋根瓦が風で飛ばないよう、漆喰で固めた住宅。 |
同様、セメントで固めた住宅。 |
排水路は石積塀で挟まれる。 |
船の古材を利用した板壁。 |
東地区の最も東の海岸に近い場所で、セメントとペンキで仕上げられた一角。石積だらけの中で、逆に新鮮に映った。 |
石積練塀には大きな開口は開かない。 |
本浦 西地区
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西地区を防波堤から眺める。雛壇状の急斜面集落へは何本かの縦道から入っていく。 |
上関原発問題に対して、祝島島民の9割は反対しているという。しかし、いろんな事情で反対派を名乗れない人たちもいる。この戦いはもう20年になるそうだが、狭い島に早く安らぎを戻してあげてほしい。 |
島にはメインストリートに沿って、照満寺、光明寺、善徳寺の三寺がある。一般に、漁村では寺は丘の上に多いように思うが、ここでは海岸沿いにある。 |
西地区の縦道。 |
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コッコーの実は不良長寿の仙果と信じられている。 |
西部地区の西端の海岸沿いの民家。 |
縦道から港を見下ろす。斜面下の住宅。 |
斜面上の住宅。下屋の部分がすべてコンクリート造陸屋根となっている。
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西地区は民家と畑が混在する。さらに山を上がっていくと、かつて家があったであろう、石垣が何段も残っていた。 |
西端に墓地があった。段々畑の石垣が美しい。墓地は、東地区東端の同じような高台にもある。 |
墓地からは集落が一望できる。島民は、先祖に見守られながら暮らしている。 |
西地区の雛壇状の屋敷地。山側は石垣なので囲む必要は無い。 |
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石積練塀、瓦、漆喰のコントラストが美しい。
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祝島の集落の特徴はなんといても石積練塀だ。高いこと、軒とくっついて外壁の様になっていること、海岸だけでなく狭い路地にいたるまで見られることなど、日本各地の防風対策を施した集落のどれと比較しても完璧である。なぜここまで、石積練塀なる形態が発達したのでろうか。台風の通り道とはいうものの、その防風性能は台風常襲地域である沖縄の民家に勝るのである。
このことは、もう一つの機能である「防火対策」によるところが大きいのではないか。2度の全焼した経験は、暴風対策の石塀を木造家屋の防火性能の確保のため、今の形態に昇華させたものと考える。
さらに注目すべきは、石塀の天辺に瓦屋根をのせていることである。もちろん、軒とくっついている場合は屋根がのるのは必然だが、独立している部分も瓦を葺いている。これは、防風を目的とした他の石塀には例の無い形態であり、どちらかというと武家屋敷の石塀に通じるように思う。つまり、「家格」の表現としても発達したのではないかと思えてくる。所々に見られる大きな民家はおよそ単なる漁村の民家とは異なる様式だ。永い歴史を持ち、航海時代に重要な位置にあった祝島は、その集落規模からみても、かつて相当繁栄したはずである。繁栄した集落町並みには、必ずステータスシンボルとしての独特の様式が発達するものだ。
ここに、海に面する集落に見られる防風対策をまとめてみた。石塀、石垣系は太平洋側に、木柵系は日本海側に見られる傾向がある。使われる石や木の形、大きさ、組み方も様々。「他にもこんな形態があるよ」と言われる方がいらっしゃったら、是非ご一報頂きたい。 |
海に面する集落の防風対策あれこれ |
北海道泊村(日本海)
煉瓦蔵と風雪に耐える木柵 |
千葉県銚子市長崎
(太平洋)
犬吠崎に近い突端の集落。石垣に囲まれた家 |
山口県上関町祝島
(周防灘)
家を囲む軒先までの石積練塀 瓦をのせる |
沖縄県竹富町竹富島
(太平洋)
さんご礁の石垣に囲まれた住宅 |
秋田県本庄市折林
(日本海)
青森から秋田にかけての太い木柵 |
静岡県南伊豆町入間
(太平洋)
海岸に面して石垣やコンクリートの高塀 |
愛媛県三崎町井野浦
(豊後水道)
家を囲む軒先までの石積塀(写真(日本の集落3」) |
沖縄県石垣市明石
(太平洋)
家屋そのものをコンクリート造にした伝統様式集落 |
新潟県小木町宿根木
(日本海)
海に面して細やかな竹柵 |
和歌山県串本町田並
(太平洋)
海岸に面して石垣+板壁 |
愛媛県西海町外泊
(豊後水道)
石垣と家屋のロの字配置 |
鹿児島県笠沙町大当
(東シナ海)
武家屋敷の影響か石垣囲い集落 |
石川県輪島市大沢
(日本海)
能登半島西海岸の間垣 |
香川県高松市女木島
(瀬戸内海)
海に面して卓越風対策の石垣塀(オーテ) |
高知県宿毛市沖ノ島弘瀬
(豊後水道)
i石垣の斜面に妻面ノッペラボウ家屋 |
長崎県峰町木坂(対馬)
(東シナ海)
風対策と武家屋敷の影響か石垣塀の集落 |