伊勢路
 

あらゆるメディアに紹介されている集落・町並みをすべて網羅する趣旨で作成した当サイトのDataBase。そのDataBaseに掲げた場所は、実際に自分の目で見て歩かなければならない。愛知淑徳大学の谷沢研究室で開設しているサイト「町並み紀行」では日本国中の本当にたくさんの町並みをリストアップしているが、このサイトに出会った後、当サイトのDataBaseの数はガバッと増えた。特に同大学の地元である中京地区での数は多く、愛知県と三重県に行かなきゃならない場所がたくさん増えてしまった。うれしいような悲しいような・・・。そんなわけで三重県は広島県、岡山県に継ぐ訪問強化県である。今回は三重県攻略の第一弾で、平野部の町並みを四日市から出発し伊勢市あたりにかけて9箇所を歩く。
夜遅く名古屋から近鉄電車に乗って四日市に着いた。四日市は殆どが戦災を受けたおり、広い通りが整備された町である。深夜、駅西の広い通りの広い歩道をトボトボと歩いて10分ほどのところにあるビジネスホテルにチェックインした。
一身田(三重県津市)
三重県はホンダの工場と鈴鹿サーキットがある県であり運転がハードである。そのペースにあわせると県外者は御用となってしまうので注意しなければならない。伊勢神宮を終点にももつ伊勢街道国道23号線を南下する。
最初の町並みは津市に近い寺内町一身田。中心にある専修寺(修復中)の境内はとても大きく、由緒ある町であることをビシビシ感じる。門前にはちょっとした広場状の空間があり、その南に町人町が展開する。また環濠の外だが伊勢に向う街道沿いにもいい町並みが残っていた。津市市街が殆ど戦災に遭っているだけに貴重な歴史的空間である。

市場庄(三重県三雲町)
津市市街は綺麗な町である。しかし戦災で歴史的な空間は残っていないので今回はあっさり通過する。伊勢街道を走りもうすぐ松阪というところで三波川を渡ると市場庄の町である。旧街道は右や左と何度もS字カーブを描き、街道に沿う町並みもうねる。市場庄は宿場町ではなく農村であるが街道沿いということで商いも行っていたらしく、農家と町家の機能を併せ持った家々が見られる。妻入、下見板貼りと軒下の出っ歯状幕板「かえぎ」という、伊勢路ならではの特徴ある町並みが味わえる。蛇行する町並みは先が見えず「次にどんな町並みが現れるのだろう」という期待感を歩くものにもたらしてくれる。町としてはかなり長いが全く飽きることはないシークエンシャルな町並みである。

松阪(三重県松阪市)
伊勢街道も松阪の町に入ってきた。航空写真では城下町の外(松阪川の西)の旧街道沿いに町並みを確認していたが実際にはそんなに残っていない。車を市役所において核心部分の魚町界隈から歩き始める。有名な商人を輩出した町らしく町並みのグレードは高い。本居宣長旧宅前の牛銀本店が近づいてきた。松阪といえば松阪牛。ケチケチ旅行だが「さほど高くなかったら食べちゃおうかな」という誘惑に負けそうになった。だが、昼時でもありお客さんがいっぱいだったのでよした。
中町あたりはあまり残っておらず、生垣の茂った旧武家屋敷町を抜けて武家長屋の横たわる殿町から城の石垣を上る。松阪の甍並みを見下ろすことが出来る最高の展望台である。
黒田(三重県松阪市)
松阪の市街は戦災に遭っていないのでもっと町並みが残っていると期待してきたがちょっと裏切られた気持ちである。残念だと思いながら城下を抜けようとしたところ前方に感性に訴えるものが!。黒田町は松阪で伊勢街道から分かれた和歌山街道沿いで、新道が迂回して旧道沿いの町並みが残っている可能性が高い。一方通行だったので反対側から入ってみた。町家の一軒一軒のグレードは高くは無いが余計な建物が挟まっておらずズラッと連なっている。これはいいぞと歩いてみた。看板がついていたりしているが、綺麗に整備された魚町とは違って自然な状態でいい。
射和(三重県松阪市)
松阪市南端、櫛田川縁にある射和と中万の町は、江戸に店を出し伊勢白粉や木綿で財を成した伊勢商人・松阪商人の本宅がある町である。中世以来、日本最大量を産出したという勢和村丹生の水銀を加工して白粉を生産して栄えた。
このようなことを事前に調べもせず訪れたので、「なんでこんな大きな邸宅がいきなり現れるのだろう」と不思議に思った。案内板を読んで「なるほど」。勉強嫌い、フィールドワーク好きの私の場合、いつもこのパターンである。

中万(三重県松阪市)
中万も田園の中に突然立派な屋敷群が現れる不思議な集落である。門や塀、蔵が川に沿った通りの両側に建ち並んでいる。
思えばこういう突然現れるゴージャスな町並みというのは他にも見たことがある。鳥取県の山奥にある阿毘縁はタタラ製鉄で富を得た家が並んでいる。しかし現在訪れると、「なんで山奥の農村にいきなりこげな立派な家々が?」ということになる。

相可(三重県多気町)
松阪市射和から櫛田川を渡ると多気町相可の町並みがある。かつての橋は現在より西に40Mほどのところにあってその場所に道標がある。
「伊勢本街道 すくならはせ道 右くまのミち 文久三葵亥十一月建」と刻まれており、ここが伊勢本街道の宿場町であったことがわかる。妻入りをベースにした下見板張りの木質系の暖かな町並みは、街道を歩いてきた旅人たちに「いよいよ伊勢神宮に近いな」と感じさせたことであろう。

二見(三重県二見町)
11月ともなれば日が短い。晴天に恵まれたこの旅も最後の目的地である二見浦に到着したときは陽もかなり傾いていた。
私は二見という場所を良く知らなかったが、関西では有名な海水浴場+リゾートである。東京でいう湘南海岸のようなものだそうで、それはそれは由緒ある旅館が海岸に沿って建ち並んでいるすばらしい町並みである。今まで見てきた妻入+下見板張りの民家を極めたような旅館建築が連続する。旅館建築に挟まれた通りは夫婦岩近くでは海岸線にさらにシフトし、片側だけにさらに立派な旅館が並ぶ。私には関東の箱根や日光の海岸版のように写った。

古市(三重県伊勢市)
二見浦で今日の予定は終わりだが、まだ時間があるので伊勢市古市に立ち寄った。「いらかぐみ」の七ちょめさんのレポートで麻吉旅館界隈とは別の場所にも町並みがあるというので、そこを見に行くのが最後のミッションである。
有名な麻吉旅館のやや北側の一角に古い家が並んだ町並みがある。もともと表通りではないようだが夕暮れでもあり良い感じの空間だった。学校帰りの子供たちが駄菓子屋に立ち寄って騒いでいた。ちょっと懐かしい街角の風景。私が子供の頃にあったこんな風景も今やなかなか見ることがない。

古市に程近い宇治山田駅でレンタカーを返却する。ニッポンレンタカーは県内乗り捨て無料のところが多いので大変便利である。JRの駅レンタカーでは出来ない芸当だ。
近鉄特急ビスターカーは今日訪れた町たちを逆走し名古屋に向った。