庄野(三重県鈴鹿市) |
加佐登駅を出て関西本線の踏み切りを渡る。道の両側はコンクリート電柱の工場で、出荷を待つ電柱が束ねて積んである。その殺風景なところを通り過ぎると旧東海道の宿場町「庄野宿」の案内板があった。
コンクリート電柱置き場から一転して木質系の町並みに変わる。切妻平入りの町並みは三重県伊勢地方でお得意の妻入板壁系ではない。やはりかつての主要幹線東海道は田舎様式などとは一線を画していたのか。それでも一軒だけ1階軒先に「出っ歯幕板」の付いた家があった。町を歩いているうちに粉雪が舞い始めた。鈴鹿山脈から飛んできた雪である。 |
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亀山(三重県亀山市) |
亀山は関西本線の重要駅。名古屋方面からの関西本線に津方面からの紀勢本線が合流する。しかし、殆どの列車がこの亀山で終点となり、先に向う列車は本数が激減する。したがって伊賀上野へ向う列車に乗り遅れるわけには行かず、亀山に与えられた時間は1時間15分厳守である。
足早に駅改札を出てタクシーに乗り、本町4丁目を指示。安全を見て、最も遠い場所から始めて駅に向かって町並みを歩く作戦である。事前の調査で予測していたとおりの場所で町並みは切れたのでそこで降ろしてもらう。看板に亀山宿西端と書いてある。順番に旧宿場町を見て歩いていく。本町を過ぎると新しいアーケード商店街になった。やがて道を折れ旧道の坂道に入る。この辺りが最もシークエンス的に面白い町並みで、坂を下りきった最後にでっかい商家が待ち構えている。町並みはさらに西町へと続いていたが与えられた時間は無く歩くことが出来なかった。鉄道の旅はこういうことに対して気転が利かない。 |
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伊賀上野(三重県伊賀市) |
亀山からの関西本線はたった一両のワンマンディーゼルカー。うなりながら鈴鹿山脈の谷合いを登っていく。やがて視界が開け平地に出る。ディーゼルカーもうならなくなり軽快に走っている。草津線を分岐する柘植を過ぎ伊賀上野に到着した。上野の旧市街は遠く離れている。駅前に三重交通のバスが待ち構えていてあわてて乗り込んだら運転手はのんびりと車内をほうきで掃除していた。
銀座2丁目というバス停で下車する。城下町である旧市街は半割の碁盤目状で、規則正しい反面変化が無く面白くない。相生町、紺屋町、西町、中町、東町、さらに寺町と歩いた。時間に余裕が出来たのでうまくも無いうどん屋で腹ごしらえをして予定より早く電車に乗った。 |
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阿保(三重県伊賀市) |
近鉄伊賀線から本線に乗り換えて青山町駅へ向う。それにしても近鉄伊賀線は単線でしかも急カーブが多くのろい。
伊賀神戸で近鉄本線に乗り換えて一駅東へ行った青山町で降りる。青山町は市町村合併で近年伊賀市となったばかりである。その中心市街である阿保は初瀬街道(はせ)の旧宿場町で、初瀬街道は大阪から伊勢神宮へ向う旅人が行き来した重要な道である。そのことはしっかりとした造りの家々が物語っている。町並み本などに全く紹介されていない町並みだが十分その資質はある。 |
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伊勢路(三重県伊賀市) |
初瀬街道の阿保宿の東隣が伊勢路宿である。初瀬街道の最大の難所は伊賀と伊勢の国境にあたる青山峠越え、いわゆる「青山三里」であった。その峠の伊賀側の麓にあるのが伊勢路宿(伊勢地宿)である。「峠の手前の宿場は皆が泊まるので繁盛するが鉄道敷設後は駅から離れて急激に廃れる」という法則があるが、この伊勢路もそのひとつで、大規模の民家が建ち並んでいる。しかし、それは峠手前の鄙びた風情ではなく、かつての隆盛を物語る町並みといった風情である。見ごたえのある建物、くねる街道に沿った家並みや川沿いの石垣など、今回の旅で最も魅かれた町並みだ。。 |
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美旗(三重県名張市) |
欲張りにもう一箇所行っちゃおう。近鉄大阪本線で西へ戻り、名張のちょっと手前、御旗駅で降りる。このあたりは名張盆地の水田地帯。初瀬街道沿いに新田開発された街村である。各戸の主屋は街道に面してズラーと並んでおり、農地は背後にそれぞれの主屋に対応して短冊状に配置されている。その一直線の町の中を近鉄大阪本線が貫いている。
町の最も東のところに間口の大きな民家があり保存されていた。屋根に北海道のニシン御殿のような六角形の望楼がのっていたが古いものかどうかは定かではない。見事な出っ歯幕板が印象的だった。
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