陸前浜通りを往く (2003.04.13) 

福島県の集落町並みは、かねてより何度か訪ねており大方廻っている。今回はDATA BASEで細かく残している浜通り(太平洋岸)と、15年ほど前に行ったものの写真が無く記憶も定かでない白河街道の集落町並みを改めて巡ることとした。


小名浜
小名浜は何かとよく行く。アンコウ食べいったり、カニピラフ食べ行ったり、通りすぎたり。町並みは余り意識しておらず、そのような視点では歩いていなかった。
福島県いわき市にある小名浜は、旧磐城市の中心市街で、近世、天領の貢租米・石炭の積出港として栄えた。後背地の常磐炭田と工業地域によって港湾が整備され、商工業港へと変わっていった。また、近海・遠洋漁業漁船の根拠地でもある。
旧市街を東西に貫く銀座通りに、かつて栄えた町並みの名残がある。本町の交差点を挟んで東西500M程の、通りの南側に大きな町家が残っている。しかし、空き地は目立ち、中心だったと思われる本町交差点に建つ老舗の本屋さんも店じまいしていた。通りの南東一帯は盛り場で、スナックなどのネオンが寂しく灯る街である。

小名浜銀座通りの町並み
高さのある2階建町家がちらほら残っている。今では空き地が目立つがかつては軒を連ねていたのだろう。
写真の町家は片方だけに袖卯建が上がっているが、この後巡る町並みでも・・・。
 

比較的新しいタイプの町家と思われる。出桁は見られず、開口部上に小庇が付く。

出桁形式の町家。出桁や垂木の先端が緑色に塗られているのは、周辺の他の町並みでも見られるため、地域の特色と言える。2階の階高が高い。

本町交差点に建つ大きな本屋さんは閉店していた。永く続いた町並みが息を引き取った瞬間である。
 

江名
江名は旧磐城市の湊町で、近海・遠洋漁業基地として栄えた町である。当DATA BASEにはリストアップしていなかったが、町を迂回する県道から外れ旧道づたいに町に入っていくと、かつての繁栄の証となる立派な民家を見出す事ができた。

港の小名浜寄りの一角では、比較的大きな民家が通りの両側に並ぶ。2階が高く奥行きがある町家で、袖卯建が特徴的だが、片方にのみ上がっている。袖卯建は延焼防止機能が本来の目的だから片方あれば用は足りるのだが珍しい。両方上げていれば自宅を守れるが、片方だけではお隣の協力が必須となる。ルールでもあるのだろうか。しかも通りを挟んで左右対称なのが面白い。また、草葺の大きな民家も残っており、煉瓦倉を備えていた。
港から四倉寄りの一角には、超豪奢な民家が見られた。

港から小名浜寄りの一角にのこる町家。左右対称である。

片方だけの袖卯建を上げる町家。

港から四倉よりにあるおきな屋敷。大谷石の門塀と大きな民家。江名が水産業で潤った証である。

草葺の曲屋のあるお屋敷があった。煉瓦倉を通り沿いに備えている(手前右手)。

豊間
もとは石城郡豊間町で、いわき市(当時平市)に編入された。塩屋崎の南側に漁港をもつ。
旧道に沿って若干の町並みが残っている。こんもりとした山を背後に八幡神社がある。
江名同様に片袖卯建の民家があっ
た。また、北関東から福島に見られる軒の深い民家見られた。


片袖卯建の民家。右側は庭になる。左手は八幡神社の参道。従って延焼防止の意味は無く、装飾の意味が強いのであろう。

この辺りも大谷石系の凝灰岩倉が多い。石倉の普及の仕組みも興味深い。

軒の深い民家は福島でよく見られる。屋根が大きく南側に偏芯しており、なんだかアンバランスである。

沼ノ内
塩屋崎の北側にまわりちょっと進むと沼ノ内という集落がある。
各民家には赤レンガ煙突が目立つが、かまぼこ製造業など海産物の加工業が多いからと思われる。比較的新しい民家は御殿っぽい様式で、この地域に共通する。


沼ノ上の集落には赤レンガ煙突が目立つ。水産加工業が多いからであろう。

新しいかまぼこ工場を併設した民家。

民家の庭には海産物が乾してある。

比較的新しい民家は、幾重にも瓦屋根や庇を重ねる様式でこの地域に共通して見られる。

四倉
もとは石城郡四倉町で、いわき市(当時平市)に編入された。四倉漁港を中心とする漁業町として発展した。四ツ倉駅は港から離れているが、駅近くに住友セメント四ツ倉工場もあり、商店街を形成している。
海岸は工業地帯となっており、漁港付近に古い町並みはあまり確認できなかった。駅近くの商店街に近代繁栄した町並みの片鱗が残っており、旧四ツ倉郵便局や看板建築の新妻時計店が目を引く。


駅前通りの町並み。通りと敷地が振れているため、間口の狭い敷地は、建物が通りに正対していない。

旧四ツ倉郵便局

新妻時計店の看板建築。完全な左右対称デザイン。

塚原
阿武隈山に発する小高川は
、田園地帯を形成し、大きくうねってから海に注ぐ。阿武隈山地東側の河川はこのような河口形状が多い。小高町は、昔から絹織物業が盛んな土地だそうで、近年はレーヨンやナイロンを製造しているという。
塚原は小高川の河口の小高い丘の上に形成された集落で、丘に上ると水田が一望できる。集落を歩くと、ハーフティンバー式の蔵が目を引く。腰までは海鼠壁でコーナーを少し上げるのは東北で良く見かける。

大谷石蔵とハーフティンバー蔵

腰は海鼠壁、上はハーフティンバー式漆喰仕上げ。

荒浜
さらに北上して宮城県に入る。
浜通り地方は高速道路が完成していないため国道6号線が混雑する。陸前浜街道の旧道を辿りながら北上したいところであったが、今回は時間が無いため6号と並行して少し山側を走る県道を使った。阿武隈山地は古くなだらかな山で、アップダウンが緩く、見とおしが良く、交通量が少ないという三拍子そろった道が特徴。ドライブするには関東近辺で最も気持ち良い地域である。この県道も予想通り気持ちの良い道だったが、6号線の抜け道らしく交通量はそこそこあった。
その阿武隈山地を源流とする阿武隈川の河口に荒浜集落はある。荒浜漁港は石巻と並ぶ、伊達藩2大港のひとつで、江戸貢米を積み出し、阿武隈川船運の起点となっていた。しかし、常磐線が開通し駅が離れたたため港勢は衰退した。
集落は阿武隈川と鳥の海(海とつながる湖で漁港がある)の間に形成されている。港近くに中心があるかと予測し走りまわったが、反対の阿武隈川沿いに中心市街が形成されていた。大河の河口らしく川幅が広く高い堤防が築かれている。町並みは川(堤防)に向かって店倉が並ぶ。また、一本入った道にも町並みは見られた。


阿武隈川の土手から町並みを見る(上流方向)。
土手に向かって店蔵などの町家が並ぶ。

店蔵。横に門を並べ庭をもつ。

店蔵。ここも横に門を並べ庭に通じている。

旅館建築。もう営業はしていない。

一本入った通りに若干町並みあり。

岩沼
古くは多賀国府の前の陸奥国府が置かれ、近世以降、奥州街道と陸前浜街道の分岐する宿場町として発達した。水陸交通の要衝であり、仙台空港も近い。
JR東北本線と常磐線も岩沼で分岐している。岩沼駅の東側に旧道が通っており、南端の旧奥州街道と旧陸前浜街道の分岐点から町並みが始まる。町家としては、海鼠壁の店蔵が多く見られる。海鼠壁はバッテン型とアミダ型の両方がある。近くの村田にも海鼠壁の店蔵の町並みが残っている。
今回は夕方になってしまったので、もう一度改めてゆっくり訪れたい町並みである。