知多半島U・三河T
 

知多半島は2003年3月に伊勢湾に沿った大野から師崎にかけて港町を歩いた。今回はそのつづきで知多半島の岡田と半田、逢妻川を渡って三河の町並みを歩く。
早朝の新幹線のぞみ号に乗って名古屋駅で降りる。駅レンタカーの営業開始時間である8時ジャストにスタート。土曜日の朝の空いている名古屋市内を順調に抜け、半島西海岸の産業道路を速度オーバーでつかまらないぎりぎりのスピードで走る。前回「知多半島T」で行けなかった岡田から本日の町並み探訪が始まった。
岡田(愛知県知多市)
岡田は知多木綿で栄えた産業町で現在でも生産されている。愛知淑徳大学谷沢研究室のサイト「町並み紀行」の表紙を飾っている町並みが見られる場所として期待をもって訪れた。岡田の町に入ると県道沿いに知多半島らしい黒板壁の町並みが続いている。しかし「町並み紀行」の表紙の民家はない。JAの駐車場に車を置いて県道と平行する南側の通りを歩く。地形に従って曲がりくねっている通りに古い町並みが見られる。そしてS字に曲がった場所に問題の場所はあった。民家が湾曲した道路線形のまんまに建っている。石垣と黒板壁の曲面が綺麗な町並みである。町並みは県道やこの通りのほかにもあって、丘の上へと広がっていた。
半田(愛知県半田市)
半田は前回の「知多半島T」では日没後になってしまい歩くことができなかった。今回はそのようなことの無いように午前中に計画して歩く時間を十分確保してある。企業城下町半田の見所はミツカン工場周辺の工場群、駅前の商業地、駅西の住宅地と見るべき範囲が広い。市役所に駐車してまずは工場群を歩く。ミツカン以外の工場や酒屋もあり黒板壁の渋い町並みがとてもいい。駅周辺の商業地は街道沿いと駅からミツカン本社に向う門前町状に形成されている。JR半田駅の西側にはミツカンの創始者中埜家の巨大なお屋敷があり倶楽部もある。さらに名鉄知多半田駅の方に行くと洋風の旧中埜家住宅が残っており、現在は喫茶店となっていた。
この日の翌日、仕事でまた半田を訪れた。ミツカンと同じく中埜家が経営していたカブトビールの煉瓦工場が残っており、煉瓦建築の事例として見学にやってきた。旧カブトビールの煉瓦造工場は市が買い上げ何らかの施設として活用するという。近代化遺産が多く残る半田市は素材に事欠かない。これからの街づくりが楽しみである。


亀崎(愛知県半田市)
半田市亀崎も江戸への航路の出発点となった港町のひとつである。尾張と三河を分ける逢妻川の河口に形成された港町で、北東の神前神社前から一直線に伸びるとおりに面して町並みが形成されている。町を南から歩いていくと途中左手のちょっと奥まったところに料亭らしき建物があった。良く見ると背後の山の上まで建物が続いている。中に入ってみると玄関から長い階段が上へ上へと上っている。この建物は「望洲楼」と呼ばれる安政2年創業の老舗料亭旅館。田山花袋や柳田國男など著名人も泊まった宿という。
大浜(愛知県碧南市)
亀崎から逢妻川を渡ると高浜である。高浜は三州瓦の生産地で、亀崎から江戸へ向う船には高浜の三州瓦と亀崎の酒が載せられ売られていたという。しかし、高浜市内を車でぐるぐる走り回ったのだが目ぼしい町並みが発見されなかった。
高浜から河口に下ると碧南市大浜である。近世は港町として栄え、近代は鋳物やみりんの製造が盛んに行われていた。町には寺と町屋と工場が混在していて、路地空間が楽しい場所である。
西尾(愛知県西尾市)
三河矢作川の河港として発展した町。矢作川流域の粘土質は焼き物に適した土で、瓦や煉瓦、植木鉢、土管などの原料となっている。西尾は「三州釜」で有名である。
西尾の町は計画道路の整備が盛んに行われていて、航空写真で確認された町並みも減少しているようだ。古い町並みが残っていたのは中町と本町あたり。本町は変わった近代建築があったりして昭和レトロを感じる町並みである。和泉町界隈は遊郭跡らしき面影を残していた。

知多半島から三河にかけての旅は西尾で終わり。今晩は三河安城駅前のホテルに宿泊する。明日は仕事で、碧南地域にある煉瓦工場視察である。
広小路(愛知県名古屋市)
碧南地域の煉瓦工場を視察し、半田から名鉄特急で名古屋へ出た。名古屋では翌日、市内で設計したビルの地鎮祭に出席しなければならない。
お昼に時間があったので、工事現場近くの錦通りにある「長者町地下繊維問屋街」を見に行った。この地下街は昭和32年に完成したもので、地下鉄伏見駅のホームと連続している珍しいもの。繊維問屋と床屋と喫茶店が隣り合っているような不思議かつ昭和レトロ満喫な空間なのである。錦通りの一本南側には広小路通りがあり、戦災で殆どが消失した名古屋にあって珍しく近代の銀行建築が並んで残っている。